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2020 / 04 / 03
私とステラ・アドラー演劇、そしてリンクレイターヴォイス その9
この絵を見て、瞬発的に浮かんだ言葉をどんどん言って!長い文節ではなく、単語、もしくは短い文節で!
さあ、スタート
「孤高」「春」「ひとりぼっち」「可愛い」「屹立」「上へ」「ニョキニョキ」「土筆」「心許ない」「幼さ」「綿棒」「春の味覚」「こんにちは」
ここに生徒達がいれば、もっと多種多様な言語が行き交うでしょう。こんなことをクラスの最初にやりましたね。クラスではみんなが瞬発的にクレヨンで描いた抽象的イメージ(絵)でした。言葉と絵を直結させていく。非日常のような今の日常でもこんなふうに出来ます。生徒たち、どうぞやってくださいね。
思わず口をついて出る言葉を遠慮なくポンポン言っていく。遊びのような始まりのヴォイスポエムエクササイズは結果、大きな気付きに繋がっていきます。自己の再発見であり、本能、自分の行く先は渡り鳥のようにもうちゃんとわかっている。もっとダイナミックな言い方をすれば、先のことを心配することは必要ないという確信に繋がります。それは意識と無意識下へのアクセスを通す、共感覚に戻していく目的があります。英語ではセネスティージアと言います。
声を長年聴覚のみで捉えている人がほとんどです。よくトレーニングされていたり、音楽学校や劇団で修行した人ほど、声を聴覚のみで捉え、同時に無意識に「否定」しています。「だめだよそんなんじゃ」「あ〜私って下手」「あ、音が下がっている」「この声嫌い」この無意識の自分の言葉を聞きながら発声しています。
こんな辛いことはありません。
聴覚はずっと声に対して威張ってきました。なので、ここでは聴覚はまさに自粛してもらって、その代わり、視覚、触覚をフル回転させていき、無意識下の自分の可能性とアクセスを可能にしていくわけです。
では、その無意識下へのアクセスはどうやってするのでしょうか?そうです、次なるワークは骨格の認識です。
ロサンゼルスで最初エレーナの指示で動き始めたときはわけもわかりませんでした。宝塚歌劇団ではバレエ、モダンダンス、ジャズダンス、日舞と身体を動かしてきましたが、初めての動きです。なんでこれが必要なのだろう????ほとんどの生徒はぶーたれています。だって、みんなハリウッドのムービースタアにすぐになれると思ってはるばる、テキサス州、オハイオ、カナダ、中東イスラエルくんだりから来ているのですから。鉄火肌エレーナはそいつらをものともせず、淡々と続けます。これが、今も私のヴォイスワークに大切な基本中の基本、骨格の認識になります。
重力のある地上で立ち上がった時から、人間の脊椎は重い頭を乗せて歩く宿命を負いました。背骨を支えている筋肉は常に緊張状態にあります。これを順番に緩めることで、重い頭は重力に向かい落ちて行きます。そうすることで、数珠のように連なった椎骨は一つ一つ下がって行きます。だら〜んと下半身にぶら下がった状態。じわ〜っと重力に引っ張られ、それまで緊張していた筋肉は弛緩していきます。そして、シンプルに脊椎に意思を送ります。言葉を送るのです。「上に」「上に」脊椎のロールアップが始まります。積み木を子供が一個一個上に乗せていくように。ここで、外側の筋肉(お腹や太もも)でやるのではなく、骨に一番近い最低限の筋肉で動かして行きます。すると生徒は再び立ち上がった時に、なんなんだこれは!というセンセイションが起きます。
新感覚というか、昔の自由だったころの身体に戻るというほうが正しいのかもしれません。これをシンプルに、身体に言葉を語っていくことを繰り返す。そうすると、今まで感じることも無かった頭蓋骨の重さや、腕の重さ、関節の微細な動きを感じ取ることが出来ます。脊椎にごくごく近い筋肉の緊張と弛緩(リラックス)今度は腕の緊張と弛緩(リラックス)40分のウォーミングアップの最初はそこから始まります。そこだけで、ある生徒は驚きのあまり言葉を失うことすらあります。もう否定の言葉は聞こえてきません、聞こえてくるのは、人間への自分自身への讃歌なのでしょう。
この脊椎のロールアップロールダウンをこの地球の上で淡々と行う。私はこれが大好きです。大大大大大大好きです。今も……
今朝も、朝散歩とストレッチとこの脊椎のワークをするために公園に行きました。自分自身が回帰するために、新生するために。たまたま出会った地域のKTYMさんが「登坂さ〜ん」と写真を撮ってくれました。ありがたいです。自分を風景と撮ることなんてあまりありません。ロサンゼルスで都市封鎖で外出禁止になっている息子にすぐに送りました。「母は元気にしてますよ」と言葉を添えて。
こんなことを毎朝確認を取らなくてはならない今が悲しくはあります。今朝、息子のLINEがアクシデントで消えていました。慌てました。すぐに繋がりましたが、その数分はつい最悪を考えてしまうのです。今は。
最後に、今朝届いた、イタリアのリンクレイターヴォイス資格講師からのメールを一部、翻訳します。同じ師匠を持ち、同じ意思で学びを続けている壊滅的危機に貧している同志からのじつに切実であり、ユーモアと、そして勇気の言葉です。
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親愛なるリンクレイターヴォイス講師達へ
このようにいつも皆の体験を共有し形つくっていけることは、とても重要です。そして私の体験をみなさんに共有することも、きっと有効だと思いました。
中略
私はミラノとナポリで演劇アカデミーで指導しています。オンライン授業についてはいまだ懐疑的ですが、今回の挑戦多き難題に向かうことで付随して起こるどんな事も、想定外の事も含めて、すべてが学びを豊かにしてくれています。~中略~ そんな中で私はミラノとナポリのとても真剣で学びに飢えている意欲的な2つのグループを教えました。ひとつはミラノの、全員故郷に帰ることを強制された生徒たち、そして今でもナポリにいる生徒たちです。一人のナポリの生徒は彼女の両親と障害を持っている弟が住んでいる狭いアパートにいます。彼女はこのオンラインクラスをトイレで受けているのです。そこしか一人になれる場所が無いのです。彼女は「家族は私がここで勉強しているあいだおしっこは待たせてるの(笑」と。
中略
私は今シェークスピアのテキストを使うことはちょっとやめています。私は彼らに沢山絵のある、出来たらあまり感情的にならない、そう、子ども用の絵本なんかが良いと思います。正直言うと、私はミラノの生徒たちが深い感情におぼれていくのが怖いのです。なぜなら彼らはとても深く感情的です。そして500キロも遠いところにいる生徒が部屋の角でうずくまって感情を持て余して震えるのに対して、どう語ったらよいか考慮しなくちゃいけません。そんな様子を(オンラインの)画面で観るのを楽しめるはずありません。私がクラスを始めたとき、一人の男の子がこう言いました。彼のおばあちゃんが亡くなったばかりで、そのお葬式さえ許されません。そのおばあちゃんの面倒をみていたおじさんすらコロナウィルスによって病院にいて、彼のお父さんもおばあさんのことをお世話していたから、隣の部屋でたぶんコロナウィルスでしょう、39度の熱で寝ています。この彼の状況はオンラインクラスの皆にとても影響を与えました。彼は泣いて、そして語りました。彼は仲間が必要であり、暖かさと支えが欲しいと。そして、私はこんなこと、これまで考えたことも無かったのですが、電子機器を通して彼に届く私たちの声は、彼らに確かに触れて、しかも実にそれは親密なものでした。グループの生徒たちは彼に支えを与えられたのです。何マイルも何マイルも隔たりがあるのに、この生徒たちは強烈に力強く、感知していたのです。
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私は、朝からこれを読んで、やるせない気持ちと同時に、戸惑い迷いつつも、何かを掴もうとしている遠いイタリアの同志の言葉に心打たれました。これを読んでくれている私の生徒も、彼らと同じ身体のエクササイズから始まり、呼吸を認識し、そこに触れる音を体験し、そこから音を身体に響かせ、そして場にいる仲間と共鳴しあいます。同じです。たとえ言語は違えど、その意思を持つ呼吸は、ヴォイスは同じなのです。
イタリアの状態は他人事でも対岸の火事でもありません。私たちの行動が問われる時です。
その10に続きます。