Blog ブログ
-
2020 / 03 / 05
私とステラ・アドラー演劇、そしてリンクレイターヴォイス その4
てこてこ….
雨上がりの公園、カモが早朝散歩でした。何に向かって歩いているのかな?
生徒のみなさん、覚えていますか?「可視化」の次はなんでしたっけ!場に居ること。「公園」のエクササイズでしたね。個々がそれぞれの身近な人や場所のイメージを外に作り出すことが出来たら、こんどはクラスのみんなで公園を作りました。お題は「そこに来て、居て下さい。」
これを私はロサンゼルスのステラ・アドラー校でティムのクラスで最初にやった時は惨憺たるものでした。私だけでなく、多くの生徒が陥落します。人は、このようなお題を出されると、まず、「何かしなくちゃ!」って思ってしまうものです。
なにもないスタジオの空間に、それぞれがイメージで具体的な遊具や花壇や、飲み水場を作りましたね。そして、順番にそこに来ます。昨年の演劇長期クラスは人数が多かったので、客観視する人も作りました。これは良かったと思います。そうすると、場が出来ていない、そこに居る前に何かをしようとしてしまう。永遠に滑り台を繰り返し、羊のワイヤーの乗り物で揺れ続ける人、ずっと砂場と飲水場を行き来して山を作る人。いつまでたっても、見る側には、その場が感じられません。
「呼吸して、何が見える?音を聞いて」私の指示に、一瞬動き続ける蟻のような生徒たちが、止まり(実際は止まっていないのですが)その通り思考を転換します。地に足がつき、呼吸をして、どこか遠くから聞こえてくるチャイムの音か、池の水の流れに耳をすまし、鳥がさえずっていたことに気が付きます。この時、全身がその場と一体化し、時間に囚われずにそこに居るという体感があったでしょう。
見る側の眼の前に公園が現れます。
私はよく公園に行きます。今でもです。そして、最初の最初にティムの眼の前で永遠に架空の犬を散歩させ続け、内心、(長い、この先どうしたらいいんだ、ティム、早く止めてくれ)と願い続けたことを思い出します。みなさんも、公園に行ってみて下さい。誰もそんなふうにあくせく動き続けていないでしょう。バトミントンやサッカーをする人もそういう質で動いていません。人々は最初に場に居るのです。存在するって言ったほうが近いかもしれません。
場に存在し、時間が流れる……
架空の犬に疲れ果てた私は、ニヤニヤ笑っているティムの前で降参し、その場に居るという感動的な体感から「場がすべてを与える」ということを、信じられると確信しました。
またこの話はゆっくりとしたいと思います。
その5に続きます。