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2015 / 04 / 03
3月22日までの歩み その12
おかげ様で、3月22日、無事に「A Thousand Cranes 〜禎子と千羽鶴〜」「unseen〜あんしぃ〜ん〜」の二作品を
上演することが出来ました。協力してくださった方、そして世田谷区の瀬田四丁目まで
足を運んで下さった方、応援してくださった方、ありがとうございます。
いつもこうやって、最後は記念撮影。
作品を上演出来たことも嬉しいのですが、この日の出来事すべてが、なにやら遠い日のおばあちゃんちに遊びに行ったような時間になったのは、空間の持つ不思議さを実感する以外のなにものでもありません。
「空間がすべてを与える」
ロサンゼルスで勉強したステラ・アドラー校では、その教えを最初から最後まで徹底させます。
ちゃんと出来たかな?ステラ・アドラーに聞いてみたいです。
***
後日談
無事に上演出来て、気がつけば春休み。「あんしぃ〜ん」の元になった伯父のエッセーの北陸は、
北陸新幹線の開通と共に、近くなりました。
矢も盾もたまらず一泊で金沢まで行ってきましたが、その理由の1つは、
伯父が学徒動員で合宿したお寺に行ってみたかったのです。前にも紹介しましたが、手先が器用な伯父は、このような地図をエッセーの中に残していました。
美川は、ほとんど町並みも変わっていなくて、遠縁の協力もあって、お寺は簡単にみつかりました。手書きの記録はそれだけ正確だったわけです。
もしかしたら、住職がいて、当時の写真か何か残ってないか。
私は雨の中、ドキドキしながら、いきなりお寺を尋ねたのですが、残念ながら、対応して下さった若いお嫁さん(かな?)、当時の記録は残ってないとの事でした。まあ、仕方ない。遠い昔の話なのだ….
ふと帰りに振り返り、はっとします。
それは、伯父の絵を見ればわかります。
ここだ、確かにここだ。伯父たち少年は、この場所にいたのだ。お腹を空かせて、それでも楽しさを見つけて。
私の胸には昭和を生きた人たちへのこよりを撚るような、ささやかな喜びと、こんなことでしかお礼が言えない歯痒さも一緒になってしまって、それでも、もう会えない人に会えたような….
夜行列車や、米原経由で何時間も列車を乗り継いで金沢に帰郷するたびに、祖父母の家で、美味しい美味しいとご飯を食べていた、母や伯父や叔母を思い出します。
あの頃の私はただの小さい少女ではありましたが、こんなふうに劇を作るということで、時空を少しだけ旅することが出来るようになったのよ。
一生懸命話しかけても、飢えを経験した伯父たちは、大喜びして丸いお膳を囲んでひたすら北陸の味を味わっているのです。
あ、雨で濡らしてはいけません。伯父の記録をかばんに深く入れて、遠縁が待っていてくれた車に戻ります。そこには今夜のごちそうを楽しみにしている、どれだけご飯たべても、まだ食うか!っていう息子二人が待っています。
長くなりました。読んでくださった方、ありがとうございました。新しい年度は、桜の花と共に始まりました。