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2015 / 03 / 14
3月22日まで歩み その10
和穂……エッセーを書いた伯父の名前
幸子……私の母
まさお….私の父
康子……到底一言では言えない私の恩人
たかし…..父母の死後、お世話になった叔父
ちょっと、私のお楽しみで、登場する子供には、激動の昭和を生きて、もっと生きて欲しかったのに、さっさと天国に行ってしまった
懐かしい人たちの名前を付けちゃいました。
最初の本読みで、その子たちがしゃべり、動き始めたときは、時空をさかのぼったような不思議な気持ち。
太郎くんというのも出てきますが、子供の代表のような気持ちで「太郎」と付けました。
一生懸命がんばっている彼が、人をいじめたり、殴ったりしてしまう背景には、何があったのか、想像してもらえるように。
そして、4ヶ月のレッスンを経ての、東都生協の平和のつどいでの劇は、おかげ様で、沢山の子供さん、
スタッフ、お母様たちも協力してくださり、無事上演することが出来ました。作品のモデルになっていただいた
小原玲さんにも写真とトークを、そして音楽は素敵なオーボエ奏者のtomocaさん。
丁度このblogも、その頃の様子をお知らせしたくて、始めたんでしたっけ。
もうかれこれ5年前ですね…….
終わってみて、振り返ると、当時は言いたいこと、やりたいことがありすぎて、少し欲張りすぎたような気もします。
そして、時を経て、世田谷区の古民家、旧小坂邸に足を踏み入れた時、
ああ、この廊下を学童疎開児童の子供たちが動き回るような劇ができたらおもしろいだろうな
と、思っていたので、
今年戦後70年、思い切って「unseen〜あんしぃ〜ん〜」を、学童疎開児童の部分だけ抜粋して、朗読劇に書き直してみました。
今回の出演者は、私のスタジオに来てくれているアクターたち、一緒にヴォイスワークをやった
高校の先輩や同級生、そして、息子が小学校の頃から読み聞かせやPTA仲間の地域のママたち
そして、子供さんも協力してくれます。なんだかいろんな人が集まっていますが、
いいアンサンブルになってきています。
この地域ママたちのテリトリーは多摩川の河原。
私が知っている多摩川の河原ではいつも、
多摩川で遊ぼう
多摩川で食べよう
多摩川で観察しよう
多摩川で何かを作ろう
そんな言葉が通例なのです。
悲しい言葉が続くことのないように、子供たちの居場所を作っている人たちです。
さて、次は当日の衣装のお話をしようと思います。
それは…..