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2015 / 03 / 03
3月22日までの歩み その6
「登坂さん、このたびの一世田谷パブリックシアター般公募に、応募ありがとうございました。」
へ〜、こんなふうに応募者全員に電話して結果報告するんだな、企画側も大変だな….などと思いつつ、次の言葉を待ちます。
「残念ながら、今年度の作品は◯◯劇団の◯◯◯◯と決まりました。」
あ〜、まあそうだろうな。
でも、内心ちょっぴりがっかりしつつ、
「そうですか、どうもありがとうございました。」
受話器を置こうとすると、
「待って下さい。じつは、登坂さんの「A Thousand Cranes 〜禎子と千羽鶴〜」は最後の2作品まで残りまして…」
「!……. 」
「特に最初の戦争の足音のなど、力強い表現があり、高く評価されました。選考委員の中には強くこの作品を押す人も何人かいて、最後の最後まで揉めました。」
落選への落胆よりも、私にとっては、この「高く評価された」という言葉だけがこだまして、
そうなんだ、自分が書いたものが、高く評価されたのだ。
当時は、息子二人連れて、まったく先の見えない時だったので、嬉しくない訳ありません。むしろ救いの言葉でありました。
涙声になってしまって、何度も何度もお礼を言って、
担当の方が電話を切ろうとした時、
「あ、ちょっと待って下さい。1つ聞かせて下さい。その劇団の作品と、私の作品の、採用不採用の最後の一点は何だったのでしょうか?」
答えは、「一点、公的な場所で、ヒロシマという言葉が直接的過ぎるということです。もっとなにか比喩や暗喩を持って
抽象的に表現されていれば……」
電話を切ったあとも、私は単純に喜んでいました。ポカンとしているとしとたかの前で、泣きながら、「やった〜!!やった〜!!」ダンスを踊ってしまっています。
そして、ふと思うのでした。
なぜ、ヒロシマだとイケナイのかしら?
ここで、私が言いたいのは、公的な場所への避難ではありません。たしかに、様々な作品が
そういった見事な比喩的な表現を成功させて、メッセージを送り出しています。
ただ、私の疑問は、このように移行します。
でも、直接的な、わかりやすい表現でもいいのではないかな?
その後、私は世田谷区の中学校や、区民センター、江戸川区の平和団体など、
オファーがあれば、どこでも飛んでいって、上演し続けました。
が、問題は……
予算が無い。
上演の機会があればあるほど、良いものをつくりたい欲求が高まるのと、予算が無いという現実。
この頃は、ひとり親として区からも助成してもらっていましたし、
それでも、上演の依頼をもらえば、持ち出しでもなんでもこっちを優先してしまう己。
そんな時に、初めてのスポンサーの可能性が出てきました!
そのプロデューサーは、意外なところにいたのです!
それは…..
「