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2015 / 02 / 18
3月22日までの歩み その4
私の叔父さん…..
昭和5年生まれ。
いつも温厚で、背が高く、にこにこ。
私が小さい頃の母と叔父さんの待ち合わせは、
東京駅の大丸デパートの前のたしか太い柱の何番目。
その日は必ず私も何か買ってもらえるから、すごく楽しみでした。
職業軍人の父親を持った兄と妹は、戦中と戦後では生活は一転して、
苦労しただけに、私から見ても仲の良い兄妹で、母が56歳で逝ってしまった時は、
「幸子、幸子」って、額を母にくっつけて号泣してしまった叔父でした。
晩年の叔父にはなかなか会う機会が無かったのですが、
その時受話器の向こうの叔父は、あのおっとりした声で、「のんちゃん、のんちゃんはアメリカでも
帰国してからも、劇をやっているんでしょ?叔父さん、エッセー書いたから
その原稿を送るね」というものでした。
「8月15日の記憶」
昭和20年、叔父は15歳。
学生は勤労奉仕として、勉強ではなく、金沢のお寺に泊まりこんで、
機械を使っての重労働。その日々を、しっかりとしたエッセーに仕上げていたのでした。
私を驚かせたのは、あの温厚な叔父が書いたとは思えない、怒りに溢れたその文章。
と、同時に、得意の絵を用いて生き生きと描かれてたものは、当時の15歳の青年が見たもの、
感じたこと、楽しみにしていたこと、そのものでした。
そして、日本中の価値観が一転した、8月15日のところでは、
エッセーのラストは、見事に私の予想を裏切りました。
それは….