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2015 / 02 / 08
3月22日までの歩み その2
6年生が作った劇は、自分たちで脚本も書いた、「戦争」をテーマにしたものでした。
4組あったので、各クラス選んだ題材は、「原爆」「食料配給」ごめんなさい、忘れちゃった!もうひとつはなんだったかな?
そして「学童疎開」でした。
それは良く出来ていて、ちゃんと当時の事を調べて作ったのが良くわかります。
原爆の落ちた時の表現など、体育館の隅においた和太鼓をドン!と一発叩いて、
真っ暗にして、無音の中ダンボールがバラバラと崩れ、静かに生徒たちが倒れます。
実に怖い。学童疎開の劇をやった組はちゃんと大きな汽車を作って、
お別れのシーンを作りました。
親としても、また演劇に関わっている者としても、ちょっと言葉にならないものを受けて、
ここまでの作品をちゃんと作ったのだから、きっと先生方も、それはちゃんと指導して下さったのだろうと
思い、廊下で担任の先生に駆け寄りました。
「先生、素晴らしかった!どうやってあんなふうに作ったのですか?」
先生はニコニコして、「登坂さん、子供たちは全部自分たちで作ったんですよ〜。私たちはそれを見守ってただけで」
自発的に何かをやる……
この頃、私は「伝える」という難しさにぶつかっていまして、
特にこういった「平和」ということになると、返って難しい。
「A Thousand Cranes 〜禎子と千羽鶴〜」も、何度も辞めようと思うのですが、
なんだか結局、機会をもらうと一生懸命上演してしまう。しかし、私がそういう事を出来る資格があるのか。
世の中に平和なんてあるのかいな?と自問自答しつつ、結構苦しい時期でした。
なので、5年生の時に体育館で自発的に鶴を折った子たちが、自発的に「戦争」の劇を作ったというのは、
ああ、こういうものなのだ。こちらが力まなくても、信じ、見守っていけばいいのだと。
息子の小学生最後の学芸発表会は、まさに、大きな答えをもらったような体験だったのです。
私は「伝える」という事に対して、もう少し明確な何かが欲しくて、
この頃から、地球の果ての紛争地域などで写真を撮っている、フリーランスの報道写真家の方の
お話を聞きに行くようになりました。彼らこそ、真実をその目で見て伝えている人です。
そして、
ある時、親切なご婦人が山のような写真集を私に下さりました。
それは….
つづく